ネパールの豆が届きました。
この人がつくるコーヒーなら、美味くないわけがない。
これが、ビルドスさんに会って、彼が働くコーヒー農園を見て思った最初の印象。
ビルドス・ラマさん。ラマ・オーガニック農園の代表だ。農園には、約300本のコーヒーの木の他、アボカドやレモン、パイナップルなどいろんな果物の木(去年からドラゴンフルーツにも挑戦しているんだとか)、そして、10,000株の小さなコーヒーの苗。農園の代表、と言ったって、彼と奥さんのふたりだけでやっているものだから、ビルドスさん自ら、汗を流してせっせと忙しく働いている。
それから、摘んだばかりのコーヒーチェリーをパーチメントに精製加工するためのウェットミルもある。家庭用の台所シンクをつなぎ合わせたり、プラスチックのバケツに自分で穴をあけて「ザル状」に加工したり、パルピングマシンが2段階構造に改良されていたり、ビルドスさんが自身の経験を踏まえて、かつ身の回りで調達できるものを使ってたくさんの工夫を凝らしていることが伺える。まさに、彼が自ら作ったカスタムメイドなウェットミルだ。その日は、私に精製加工を見せたい、ということで、朝、ビルドスさん自ら農園に行って、チェリーを山ほど摘んできてくれていた。
話をしていて、どんな質問にも丁寧に、私の目を見て受け答えをしてくれる姿がとても印象的だった。今挑戦しているのは、嫌気発酵(パーチメント精製加工の手段のひとつ)なんだそうだ。海外と取引をしている知り合いのコーヒートレーダーに国際市場での動向を教えてもらって、自分でやり方を調べてやってみているところなんだそうだ。「まだうまくいくのかどうかわからないんだがね」なんて笑いながら、試行錯誤している姿も隠さずに見せてくれるところに、彼の実直さを感じた。
農園を見下ろす形で建っている自宅で、ビルドスさんが自ら焙煎するところを見せてくれた。もちろん、焙煎機なんてものはなくて、生豆が入った厚手で深みがあるアルミの鍋を直火にかけて、たくさんの竹の棒を束ねたものでかき混ぜ、「これがいちはぜ、これがにはぜ」と説明しながら20分ほど休まず手を動かしていた。
もうとにかく、コーヒーに対する熱量がすごい。種から、カップに注がれるコーヒーになるところまで、全てのプロセスに彼のエネルギーが注がれている!正直、私は嫉妬した。なので聞いてみた。「もうやりたいことはすべて叶ったんじゃない?」
彼はこういった。「この農園の豆は、出荷して僕の手を離れてしまえば、他の農園の豆と混ぜられて、どこで誰がどのように飲んでいるのか分からない。僕の夢は、精魂注いだ豆たちがこの農園の名前で市場に出され、そのおいしさが最大限引き出された形で飲んでもらえることなんだ。」
だから、私はこの豆を皆さんに自信をもって届けたいと思います。「ラマ・オーガニック農園」の名前で、私が飲ませてもらったコーヒーの味の感動と共に。
ネパールへGO。
「ネパールを支援する」と一言で言っても、単にお金だったり機械を提供したりすることで終わりではなく、彼らのために本当になにができるのかを見つけてくる、そんな旅でした。
ここのコーヒー農園の人たちは、本人たちでやろうと考えていて、日本の企業におんぶにだっこでやりたいとは思っていません。自分の責任でやろうとしています。だからこそうちも手を貸すことができる。自立に向けて支援して欲しいとお願いされた訳じゃなく、自分たちがつくるおいしいコーヒー豆を日本の人たちにも是非飲んでほしい、と純粋に思っている。
2022年2月、彼らに寄り添ってきたアムダマインズの小林さんが、「村の人たちの思いをつなげたい、彼らの自立までの道のりを支援してほしい」、と平林金属に話をしに来ました。小林さんが語る、アムダマインズのこれまでの活動や熱意に平林金属が感動し、政府資金などによるプロジェクトが終了しても、そのプロジェクトをきっかけとして始まった村の人たちの活動を未来に繋げたい、と純粋に思った。即断で支援を決めた経営陣に小林さんも私も心が震えました。そこが大変すばらしい出会いだったりするので、これから説明します。
今回作ったチラシは、農園の自立、継続を助ける力になりたいというそんな思いで作っています。この麻袋には「エクスポーター(輸出会社):グローバルエコベンチャー。インポーター(輸入会社):平林金属」とひとつひとつ手書きでこのメッセージが書かれています。これがむこうとうちの関係を象徴していると思い、メインビジュアルにしています。ネパールはアジアの最貧国と言われています。成人一人の平均年収(GDP per Capita: 一人当たりの国内総生産)は1028米ドル(2021年)。年収15万円なんです。月収ではなく。なぜかというと、ネパールには現金収入につながる産業が育っていない。
国民の70%が農業に従事しているんですが、GDPにおける農業収入は30%に満たないんです。これはどういうことかというと、農業が現金収入につながってない。つまり、農業従事者のほとんどが昔ながらの自給自足の農業を強いられている、ということ。だから観光収入や出稼ぎで外貨を稼ぐしかないんです。
ネパールは皆大家族です。大家族なのに、一緒に暮らせない。生活のために若い労働力が海外に出稼ぎに出てしまうからです。その出稼ぎ先は主に、中東、東南アジア、それから隣接するインドです。年間約30万人の、特に若い労働力が海外に流出しています。これでは、国内の産業が育つ術もありません。そして悲しいことに、毎年約1,000人が遺体となって帰ってくるんです。例えば、新婚でお腹に赤ちゃんがいる女性が、出稼ぎに行った夫を失って生涯の未亡人になってしまった話などは、よく耳にするそうです。ネパール国内でお金を稼ぐ手段、働き口があれば、家族がバラバラにならず一緒に暮らせる。それが一番の願いです。それを叶える糸口が、「コーヒーの栽培」につながります。
ネパールはインドと中国という大国に挟まれた内陸国で、自国の開発を、両国はじめ諸外国からの経済援助に依存してきました。そんなネパールで、コーヒーの栽培は、国の発展をけん引する産業のひとつとなりうる希望の光なんです。
ラマ・オーガニック農園。
これはビルドスさんの自宅の写真なんですが、なんとも美しいでしょう。油絵のようなんです。
自宅のすぐ目の前に自作のウエットミルプロセスの加工場があり、その下側がコーヒー農園です。家の窓を開けるとコーヒーの実がなっている。コーヒーやってる人間にとっては最高に羨ましい環境です。ここからちぎってきた赤いコーヒーチェリーの実をパルパ―という機械でパルピング(チェリーのかわを剥く工程)し、次にバケツの中で水を入れずに発酵させます。その度合いで香りが変わります。温度と時間で風味が変わるんです。それを今ビルドスさんは◯◯秘密時間で実験中です。発酵実験ができているんです。色々実験を繰り返し、それを乾かしてパーチメントという殻付きの状態にし、袋詰め。ここまでが「ウェットミル」というコーヒー豆の栽培の半分の工程です。
ここまで一つの農園で完結されるべきなのですが、ビルドスさんはこれができていて、完成されている状態です。ビルドスさんが最近焙煎に興味が出てきてと言われるのを聞いて、ですよねって思いました。
ビルドスさん自身の望みっていうのは、自分の豆が自分の名前で世に出て、飲まれ、評価されることです。それが彼の喜びです。ビルドスさんは奥さんと二人でやっています。実験しながら、ああでもないこうでもないと新しいことに取り組んでいるんです。
この人とても変わっている人で、ネパールで有名人なんです。23年くらい前に、生計向上支援という形で、スイスの団体が新たな作物を収穫してはどうかとコーヒーの苗木をこの地域に配ったんです。ネパールの人はみんな真面目なのでそれを植えて育てましたが、そこから先どうしたらいいかの指導はなく、コーヒーも飲んだこともないしどこかで買ってくれる話もない。海外に持っていく方法もわからない…とみんなバカらしいって言って、木を切り倒しちゃったんです。ビルドスさんは、それでもずっと育てました。彼は、10代のころに出稼ぎで行った南インドでコーヒーを飲んだことがあって、とても美味しかったんだそうです。それで、変人といわれながらも頑張ってコーヒー栽培をしてきて、今それがつながり、実になって、ビルドスさんのおかげで生活を支えられる人たちがいます。
彼自身が育てているのは約500本、それを増やすつもりはなく、そのかわり苗木を1万本くらい育てて、近辺で生活に困っている人や自立できない農家、とうもろこしなどの農家に差し上げて、今まで彼が一所懸命にやってきた栽培方法、ノウハウを無償で提供しているんです。栽培農家をまわりに増やしていって、自分たちの家族だけじゃなく、みんなの家族が一緒に暮らせるようにしたいと思っています。
そうやって大事に思って育てたものは、その思いがなにかそれに宿ると思います。それを感じる人が口に入れると、大事にされてるその思いも伝わるのではないかと考えています。虐げられ、強制労働で作らされたコーヒーと、大切にされたコーヒーはきっと違うと思います。その作り手の思いを繋いでいくのがうちの仕事です。
平林金属との取り組み。
今年、ビルドスさんの農園で作ったパーチメント850kgを生豆500kgにして、全部を平林金属が引き受けました。
そのことにより、働き手30人(常時ではなく作付が終わった後の土の掘り返しや苗木の株分けする時、また収穫時だけなどの日雇いスタッフも含む)、その家族を入れて約150人に作業に応じた収入機会が生まれます。彼らが育てた豆が増えていっても可能な限り平林金属が支えたいと伝えています。彼らにとって一番困るのは、売り先がないこと、買い叩かれることです。売り先が自分たちのことをきちんとよく理解してくれて、可能な限り買うと言ってくれている。それによって2年後3年後の苗の植え方に安心感が全然違ってくるし、質の高いものを作るモチベーションにつながりますよね。買ってくれると言われることは、事業をやるときに本当に始めやすい力になります。それを今やっています。
彼らは恩着せがましいことも言わないし、情けないことも言わないし、ちゃんと自分のことを理解しているし、何を期待されているかを知っていて、美味しいものを追求する姿勢を持っていて、もちろん無駄なお金だとか贅沢も言いません。
今回、水牛10頭分、一頭18万なので180万、経費を含めて250万円を送金しました。送金先はクンダンさんの農園。コーヒー豆の収穫が始まったばかりの、うちが力を入れている農園です。
現状、飼育している水牛は4頭です。舗装された道路を左折し、川沿いの素敵なデコボコ道を良い気分で30分くらい走ると農園への登り口に着きます。次回来ても見落としそうな入り口です。車で行けるのはここまで。農園は山の中腹にあり急な登り坂なんですが、途中にヤギがいっぱいいる場所があり、疲れが癒されてしまいます。第一農園が山の中腹にあって、クンダンさんの親戚がここ第一農園で暮らしています。ここだけじゃなくその上に第二農園を作ろうとしています。小さな子供は登れないくらいさらに急な山道になります。第一農園と第二農園の中間にウェットミルという施設を整備中なのですが、この場所はアムダマインズが以前、プロジェクトで給水施設をつくった場所になります。第二農園に小さな苗木(25cm)を1,500本植えています。大きくなると4トンくらい穫れる農園になります。あと3年で実現します。ビルドスさんとクンダンさんの農園、合わせて4.5トンをうちは下支えします。
アムダマインズと小林さん。
これはアムダマインズという国際協力NGOの小林麻衣子さんがずっとされてきたことから続いていることです。
アムダマインズが、この地域の生活環境の向上を目的としたプロジェクトを2014年に開始して、詳細調査を行って、活動計画を立て、さあこれから支援を始めよう!というところで、2015年4月の大地震が発生し、9割の家屋が損壊・倒壊してしまいました。現地のおばあちゃんたちが家を失って途方に暮れているところに小林さんはとどまり、一緒に寝食を共にしました。他のスタッフと雑魚寝で一ヵ月くらい泊まり、川の水で沐浴しました。被災したこの地域の人たちの暮らしを復興するために何をしたらよいのか、地域の人たちと一緒に考えたんです。
その時なにを考えたかというと、これまでと同じようにトウモロコシや豆などの自給作物を育てても、暮らしは良くならない。市場で売ることに焦点を当てて、ブロッコリーやトマト、キュウリなど新しい換金作物の栽培に取り組もう。
活動を通じて、集落ごとに農業グループができ、集落で栽培した作物を市場に売って収益をあげる経験を積むことができました。でも、いくつかのグループから、「もっと換金性が高い作物を作って、農業でしっかり暮らしを立てていきたい」という声がでて、何ができるかみんなで話し合ったり、他の地域にあるコーヒー農園を視察に行ったりして、コーヒーをやろう、そう考えたんです。プロジェクトの最終年に、アムダマインズが約1,000本のコーヒーの苗を支援して、その後、村の人たちが自分たちで資金を出し合って、ある集落をコーヒー農園として企業化しました。それが、水牛の購入をサポートした「クンダンさんの農園(レンブワ農園)」です。
小林さんは、震災からの復興を共に歩んできたこの地域と人たちに思い入れがあって、プロジェクトが終わっても、プロジェクトで力をつけた村の人たちの自立と、継続した生活の安定に関わり続けていきたいと思っていました。外務省からの資金も使った5年半のプロジェクトは、2019年におわりました。非営利団体であるNGOが一定規模の活動を継続するには、国の資金(ODA)を含めた助成金や補助金への申請が欠かせません。でも、そうした資金では、同じ地域で長期間事業を続けるのは難しいのです。小林さんは、ネパール国内でNGOとしての活動を他の地域で実施しながら、クンダンさんのコーヒー農園に寄り添い、いつの日かネパールのコーヒーが世界から認められることを願っています。
最初の苗木。
このプロジェクトで1本目のコーヒー苗木を地面に植えた女性の、嬉しそうな写真を以前、小林さんに見せてもらったことがありました。どんな気持ちだったんだろう。会って話が聞いてみたいなと思っていました。
今回の訪問で彼女に会うことができました。クンダンさんの農園で、コーヒーやシェードツリーの苗木を管理する責任者として働いていました。にこやかな笑顔で迎えてくれたその方は、「コーヒーは特別好きではない」と私たちに。「え?そうなんですか?じゃあなんでやってるんですか?」と聞いてもらったら「夫がやれって言うから」と。夫がやれって言うから!!うん、そうか。そうね。きっとコーヒーがお好きなんだろうな、思いがあったんだろうなという私の勝手な妄想は崩れ落ちます。ガッカリしたわけじゃないし、その時の苗木は確かにここにあるし。2mを越えて大きく成長していました。すごいね。あの小さな最初の苗木が。思い込みって勝手なもんだから思い込みなんだし。立派になってすごいね。あの小さな最初の苗木が。その木に並んで一緒に写真を撮ってもらいました。不思議な笑顔の写真が残りました。でも考えてみると、そんな理由ってむしろ最高じゃないですか。農園の人たちがこれから先、「自分たちがつくったコーヒー美味しいね」てなってきて、どうしたらもっと美味しくなるのかを模索していく段階。そのプロセスを今から作っていきます。そのストーリーがおもしろいんです。ビルドスさんはクンダンさんの師匠にあたる存在で、苗の植え方、肥料の蒔き方から、収穫後の精選についてまで指導しています。クンダンさんのレンブワ農園の豆ができるまで、ビルドスさんの豆だけを取り扱います。この二つの農園は特別なので、情報を取りながらやっていくつもりです。
水牛10頭。
クンダンさんの農園で、そんな中、気になることが出てきました。コーヒーの木の根のつき方や根元が細い、おかしい。シェードツリーにしているアボカドの木が全く育たない…そんな問題が出てきました。明らかに昨年と違うんです。アボカドが育たないならコーヒーの木にも不足しているものがあるはず。本来2月には追い肥をしたかったのが十分に出来ていない。水牛の糞から作る堆肥が足りないんです。ここで「水牛10頭」の話に繋がってきます。完全有機栽培で生産しているのですが、堆肥を街で購入して山道を運び上げるのは、物理的にも経済的にもかなり負担になってきます。農園で自給できるのが理想。クンダンさん、水牛を買うための銀行借入を申請したものの、資本金より大きい金額なので融資が通らなかったと小林さんから聞きました。実は最も必要な案件だったんです。そういうの言わないところは悪くないでしょ。数日一緒にいましたが、数日ではクンダンさんを理解しきったとはいえなかった。帰国の時間が迫ってくる中、車の中でクンダンさんに、あなたを信用してもいいですか?と聞いてみました。水牛を買う支援がいま重要だと考えていますが、あなたは信用できる人ですか?と。最終的には人だと思います。その費用を他のことに使われたり、途中でやめになったらうちとしても何をやっているのか分からない。彼はじっと私を見つめました。そして「コーヒーを諦めることはありえません」と。そもそもやめることがもうできない状況だと。もともと拡張した山の上の土地はまわりのみんなで出し合った土地で、とても大切にしてきたとうもろこし畑を彼は切り倒したんですと。もし支援がなくなってもやめることは考えられませんと。信じていいと思いました。
本当に確実に、本当に美味しいと思ってくれる人、時間がかかっても、共感してくれる人に届けていきたいと考えています。バーンと売りたいわけじゃない。さばくことが目的ではなく、彼らの思いをくんだやり方で進めていきたいんです。
やってみよう。
現地ではコーヒー豆をいれる麻袋を閉じるところからして初めての経験なものだから、そこからもう応援したくなるストーリーがはじまっている。ここから伝えていきます。
彼らは輸出をしたことがありません。麻袋を縫うミシンですらちょうど届いてはじめて触るという状態で、もうかわいいんですよ。どうやるんだ、いやそれちがうだろって、子どもみたいなやり取りを二人がしてるんです。二人の肩書はグローバルエコベンチャーという名の輸出会社の代表とグループセクレタリーなんですけどね。もうね、かわいくってしょうがないんです笑。
とにかくないものだらけ。湿気を防ぐ内袋の「グレインプロ」もネパールでは当初見つからなかったようです。グレインプロを聞いたことがあるって人をたどって、結局インドから似た機能の内袋を取り寄せることが出来ました。輸出には植物検疫を通したり、エグジムコードを取得したり、保険手続きをしたり。これは必須ではないのですが生産地証明を付けたり。これらの準備に随分手間取りました。ある何かをしなければ申請が先に進まなかったり、今度もう一回来て!また連絡するから。みたいな話になったりします。これはネパールが15年前まで王様がいた国だから。国が国民のために平等なサービスを提供するという風にまだ完全には機能しきっていないという背景があるのかもしれません。通関を無事通せて生豆がちゃんと飛行機に乗せられるかどうかは最後まで分かりませんでした。
脱殻のこと。
ハリングという脱殻の機械もなくて、ビルドスさんと一緒に、ネパールの富豪が自宅の一階に有償シェアしている機械を借りて脱殻をしました。この機械も十分な機能ではないんですけど、一応インドでは卸で使用するクラスの機械です。そこで粒の大きさでグレード1から4まで選別します。数値でみるとグレード1が期待値より少なく出荷に必要な量にほんの少量届かなくってどうしようってなりました。逆に4のブロークン(壊れた豆)の数値が高くて。原因としてはハリングする機械の摩擦熱が高すぎたのではと考えています。機械の特徴が分かってきたので、来年はこれを踏まえて対策しようってなっています。グレード2をグレード1に混ぜてごまかすことなく、1を何キロ、2を何キロという風に別の袋に分け、あわせて出荷に必要な量を作りました。このへんもきちんとやっています。ピーベリーっていう豆があります。これは、通常種が向き合って2つ入っていて、お互いフラットな面があるのですが、片方が何らかの理由で未成熟になることがあります。その時、もう片方が出来た隙間いっぱいに成長します。フラットな面がなくなってまんまるくなった豆です。これも別袋で入手しました。
ここから、ビルドスさんは同族のタマン族の女性10人に声がけをして、日当800円で10日間かけて、ブロークンや黒くなった豆を取り除いてもらいました。ここまでハンドソーティングをしている農園はネパールでは他に無いんじゃないでしょうか。女性たちは仕事があるのが嬉しくて、にこにこワイワイしながら作業しておられました。ここでも豆に愛情が注がれたと思います。
輸出会社も探さないといけませんでした。電話帳で軒並み調べて、業者を探しまくって、絞り込んで…ってやりました。最終的には輸出できる会社を設立までして、ってなって。
6月に収穫した豆が年末まで日本に届かなかったのにはこういう理由がありました。長かった!
で、これをトリブバン国際空港(Tribhuvan International Airport)に持って行ったんです。
同じ温度感でやる。
今年はもうできています。これでやっていきます。アムダマインズは輸出を現地でバックアップする業務を委託されたNGO法人。小林さんはそこのスタッフです。ネパール事務所の統括です。その委託業務を平林金属が発注した形になります。「家族みんなが一緒に暮らしたい。」というキーワードです。海外出稼ぎからの送金や観光業に依存する社会からの脱却、自立した生活を下支えできるようにと締結したのが、去年2022年の6月、アムダマインズ理事長との会見になっています。
売買契約書が整い、12月中には送金したいと言っていたのですが、ここで送金の問題が起きます。大きいお金を海外から送ると、ネパールではマネーロンダリングを疑われたりします。送金、着金証明は銀行から出ているのに現地で引き出せない。「なんで"金属″と名前がついている会社がコーヒー農園に牛を買うんだと不信に思われたりしてね。意味合いを説明するわけです。「輸入会社で、コーヒーが好きだから」って説明して、やっとクリアしていきついた先は、空港に泊まった話へと続く笑。でもこれも大事なストーリーになるんです。こちらも手探りで一所懸命、一緒にやった。同じ温度感でやる。これが一番のキモです。
空港に泊まった話。
1月に届きましたって連絡が空港から来て、ちょうど寒波が接近しているタイミングだったけど「待てない!」ってなって翌日に2人で関西国際空港まで車で取りに行きました。こちらもはじめてのことだらけ。検疫を通して、通関を通すための書類を用意して。全部書類は作っていったけれども、向こうでこのハンコ、次はあっちでこのハンコ…と3か所くらいを何度も何度も行き来しないといけなかった。カーゴ会社から、届いた豆を借り受けして植物検疫の抜き取り検査を手慣れた感じで通す。気疲れからローソンで休憩←ここ重要。税関受付のおじさんから16時に暴風のため連絡橋が封鎖されるかもって聞いて。でもまあまあ滅多なことにはならないんじゃないかってたかを括っていたんです。なかなか計算通りに進んでいて、17時には予定通りになんとか受け取れそう、なんて喜んでいたけど、風は立って歩けないほど強くなってきた。不安な気持ちになってくるのはどうしようもない。次にそのおじさんの所に行った時、のんびりした声で「閉鎖されるよ」って言うんですよ。あと15分しかない!「おじさんどうするの」って聞いたら「私はここに泊まるからいいけど」とかって。食品検疫所行けてないし、税金をまだ払っていないから間に合わない!ってなって。保税地域というのがあって、税関を通る前の荷物を、空港のバックヤードに保管するエリアがあるんです。一般の空港からは区切られていて、荷受け主が関税払って初めて持ち出せるという場所で。その中で行ったり来たり。
で、手続きは無事終わって輸入許可証を手に保税地域を出たのはいいけど陸と繋がる連絡橋は封鎖。豆は車いっぱいに積んでるけど空港からは出られない。ガソリンが足りてなくて駐車場に停めて車で朝まで過ごすこともおそらく無理ってなって。雪がひどく降っています。まずはガソリンスタンドを聞き回ったんだけど道が封鎖されている先で行けない。保税地域にはやはり封鎖で戻れない。空港ホテルは2軒あって並んでみたんだけど空きは当然ない。強風でまずJRが止まりました。南海電車で難波までは行けるみたいだけど、そこで泊まったところでまた岸和田まで戻ってこなければいけない。迷います。風が弱くなってきたのでネットで関空の連絡橋の情報を確認し続ける。開通する可能性もゼロじゃない。暖をとるため食事をした定食やがひどく混んでいて怒号が聞こえる。1時間くらい待った気がします。これ1人じゃなくてよかったすねって話しながらネットの情報を確認する。南海電車が止まっていました。この雪の感じなら連絡橋が開通するんじゃないかなって言いながら可能性が消えるのを眺めています。…暖かいのは空港内だけ。命の保障は空港敷地内だけ。マクドもあったしローソンもあるからなんとかなるだろう、って。24時まで3時間くらいマクドで喋って、ちょっと横になりたいな角度どうにかならないかな、なんてしていたら寝るのに良さげな特別すいている場所を見つけて。そしたら空港から寝袋とペットボトルの水を支給してもらえたんです。やさしー。
離陸はしないけど着陸の受け入れはしていたみたいで、色々な国の見たこともない服を着た人たちが寝袋を持って時々ポツンポツンと現れます。もちろん空港からは出られません。違う国のいろんな服を着て同じように当惑してはります。奇妙な連帯感が生まれます。色んな国の人たちと雑魚寝する不思議な体験を、まさかの日本でしました笑。枕元にはアジアの人。まさか日本で空港に泊まることがあるとは…笑。翌日14時には開通しました。マクドでWi-fiと電源拾えるし仕事捗るからいいねって言いながら午前中は待ちました。もう一晩泊まりならそんな余裕なかったかも。そんな風にしてやっと届いた豆なんで、一粒も無駄にはしたくないんです。
豆が届いてまじまじと見たのは。
豆が届いてまじまじと見たのは、麻袋一枚一枚に緑のインクで書かれた手描き文字。
エクスポーター:グローバルエコベンチャー、インポーター:平林金属。ネパールからのギフトでした。良い方向で手伝えているだろうか。その不安を打ち消すような文字列でした。
まずはシングル・オリジンのネーミングと原価再計算。販売価格、焙煎度の決定。ビルドスさんの豆はネパールでビルドスさんが自ら焼いてくれた焙煎度に揃える事を決めていました。サンプルローストを色差計で計測。L値を比較検討します。麻袋の平置きをどうしても露出に使用したくなり、NYで写真家デビューした岡山在住のプロカメラマンに撮影を依頼。筋力のある写真に。この写真のイメージでキャッチコピーを作り、「きれいごとではないのだが、農園の自活を援ける力になりたい。」と少し骨太なコピーに変更。
Lama Organic Farm。農園名にオーガニックを冠したビルドスさんの農園。決して手を抜かない篤実な人柄。コーヒーに対する熱量。ミューシレージを水洗した排水をそのまま流さず、8mの深さに掘った井戸で受けます。井戸の中の排水は雨と混ざり、ゆっくりと時間をかけコーヒー農園の土中にしみ出します。パルピングした赤いコーヒーチェリーは発酵させぼかし肥料にしていました。なにも捨てないなにも残さない。無農薬に疑いは抱かなかったのですが、国内流通のためつくば分析センターに検査を依頼。多成分一斉分析・Iモニタリング(農産物)306項目の農薬検査をオールクリアしています。
カフェインレス処理について。
カフェインが苦手なかた用にデカフェを用意します。日本で唯一コーヒーのまとまった量のデカフェ加工が出来るプラントの話を聞き、訪ねてきました。最も味に影響を与えずにカフェインを抜くことが出来ると言われている超臨界二酸化炭素抽出です。500kgをデカフェ処理できます。中を案内していただいたのですが残念ながらこのプラントは8月に休止をしていて、隣接する技術センターの汎用設備を使い加工してもらうことに。ここの設備で一度に加工できるのは8キロ。まずはテストで8 キロ限定で用意しました。4月に届いております。デカフェの市場規模ですが、日本国内ではまだまだ普及しておらず、全数の10%を下回ります。ヨーロッパでは40%を越えますので、余地は大きく残されていると言えます。これから岡山の豆が出来た際に、海外の施設に送り加工していただいてまた輸入するというのは現実的とは言えません。これから考えていかなければならない課題となります。
ビルドスさんの農園の夕暮れ時の空気感を表現する。
ブレンドの設計は、初めに提供する焙煎度を決め、次に使用する豆を決めます。豆の魅力をより強調し、日常使いの豆を作る事を思い描きながら設計図を作ります。
ネパール ラマ・オーガニック農園。この豆の特徴は、豊かな麦芽糖のような甘みがあり、アフターは尾を引かずスッと消える上品さにあります。深く焼いてもこの特徴が消えない点に着目しました。甘みを感じるということは、実はすごいことなんです。だってコーヒーノキの種を焼いてお湯に浸してるだけなんですよ。それで甘みが少しでも感じられるコーヒー豆があるならばそれだけですごいこと。ブレンドにはエチオピアの柔らかな酸をあえて加えて深みを出し、ネパールと同系統のメキシコを少し遅れて走らせます。
数週間に及ぶ試作の結果、ティッカ(中煎り)デレィ(深煎り)の2種類の焙煎度で共有でき、どちらも美味しいブレンドに仕上がりました。
アムダマインズ小林さんにネーミングを依頼。ティッカはネパール語で「中くらい」の意。デレィは同じくネパール語で「とっても」の意。岡山弁で「とっても」って言うのは「でーれぇ」って言うじゃない?デレィと重なるよね覚えやすいかもねって。笑った。(ダジャレヒントじゃないですかそれ。)そうだった、小林さんは実家も岡山です。
仕上がったブレンドレシピで焙煎します。豆がふっくらふくらみ、小粒なエチオピアとのコントラストが美しい。もやがかかったような軽やかなすべり出しから、すっきりした甘みに繋がっていく。ネパールの夕暮れ。ひんやりしてきた空気を鳥がよこぎりヤギの鳴き声が聞こえてきます。
2023年3月31日。平林金属創業者、平林久一が逝去しました。4月26日岡山プラザホテルでとり行われた献花式には、故人との名残りを惜しむ大勢の方々が見えられました。コーヒーを供するため平林金属、ヒラキン、えこ便スタッフの混成でコーヒーチームが組まれます。ネパールコーヒーのデビューです。当日は2部構成。短時間に1000名を越える集中が予想されるため、準備のための打ち合わせが緊張感を持って繰り返されました。ブレンドネパール・ティッカはこの日、宮元さんと中村さん、えこ便局長2名のオペレーションによりホットとアイスあわせ、1,531杯におよぶ杯数が滞ることなく無事に供出されました。
式場内には麻袋(マタイと読みます)に入った現物をディスプレイ。ネパールのコーヒーはいかがですかとお声がけをしながら、カップを参列された方々に手渡ししました。栽培→輸送→焙煎→抽出。"栽培からカップに至るまで"(From seed to cup)の思いが繋がった特別な1日になりました。
ネパールと平林金属には以前にも接点がありました。2008年のブログ記事です。「ネパールに野球を ネパールに笑顔を」という見出しで始まるそのブログは、主がおそらく監督で、監督の妹さんが所属する平林ソフトボールクラブからネパールのJrチームにユニフォームが寄贈されたことを大変喜んで伝えています。初めてのユニフォームを着て試合をしている子供たちの写真がとても嬉しそうでとても真剣で。これって自分の付けていた背番号を、つい写真で探してしまいますよね。
今期に向けての動き。
昨年12月のネパール滞在時に、一つ疑問がありました。物量が増えた際の輸送コストを考えると、空輸から船便にいずれ切り替えなければとヒアリングを始めたのですが、カトマンズのキャリアーさんからは、船を使ってもコストはほとんど変わらないと言われました。空輸推奨でした。ネパールにお酒を輸入している会社も空輸しかやっていませんでした。ヨーロッパにコーヒーを持って行っているかたも空輸だと小林さんに聞きました。一応大使館にも問い合わせましたが時間が足らず原因が分からないまま、そんなはずはないと思い続けて帰国しました。
帰国してから仮説を。
ネパールには鉄道がごく一部にしかありません。輸送方法は飛行機と車。ネパール南部にはインドに隣接した経済特区が複数あると以前聞いていました。ビルガンジ、ビラートナガル、ビムダッタ、バドラプル、シッダールタナガール 等の陸港(Land Port) です。隣接と言ってもですよ、特急が停まるインドの主要な幹線鉄道駅まで200mとか300mの距離なんです。インド側からは自由にネパールに出入り出来ます。インドを通せば鉄道かトラックで海まで運べるはず。カトマンズから陸港まで下ろすことさえ出来ればです。ビルガンジまで下ろすルートが最有力。直線距離で90kmですが、大型車両が通行可能なルートは山岳地帯を大きく迂回しているため、実際の運行距離は約280kmになります。急勾配かつ急カーブの道が続くナグドゥンガ(Naagdhunga) 峠を越えます。日本政府の円借款で計画された峠トンネルが2022年夏に開通予定でしたが、予定通り進んでいません。道端も狭く、ひどく渋滞します。東を回り国道1号線を走れば距離がはるかに遠くなります。ネパール国内の交通インフラの未整備が陸送を阻んでいました。
神戸の知り合いの商船会社に相談すると、アジアが得意なキャリアー大手の次長さんと、LCLが得意な大阪の会社のベテランさんに繋いでくれました。話を聞くと、お二方ともネパールは未経験。聞いたことないとのことで興味津々で逆に聞いてこられました。ルートをいろいろ当たっていただきましたが出来ませんでした。前者はタイかベトナムまで持って来れないかと。後者はインドまで下ろす手段が見つからないと。タライ平野まで持って下りてくれればあとは運べるのだがと。
2023年2月、岡山で以前お会いしたジェトロの所長に電話しました。異動で岡山を離れておられました。申し訳なさそうに電話を切られた女性から、1時間ほど後にお電話がありました。岡山の〇〇さんはどうですか?と。住所を聞いてあれ?平林金属の拠点のお向かいさん。通関士が岡山にいるんだという驚きがありました。お会いすると、面白い。やりましょう。と言っていただけました。海外事業部からインドの現地法人に可能性を打診。すべての担当者に情報が共有されていきます。そして、出来ました。との報告をいただく。カトマンズからビルガンジに下ろし、3トンを車でインド、コルカタ港まで運びます。シンガポールで積替え、香港でもう一度積替え神戸港に運びます。神戸港から岡山御津まで陸送です。ワクワクするルートでしょ。ここでも思いが込められました。今年はこの海路をテストします。
2023年、今年1月に空輸した500Kgのコーヒー豆で、約30人の収入機会を創出することができました。次の3トンでは、180人(世帯)以上の収入機会につながるでしょう。生産している農家さん、収穫したコーヒーチェリーを精選加工する人たち、それらを集めて回る人たち、最終的に生豆に加工する人たち、そして関わる人たちすべてをひとつのラインにつなげてくれているビルドスさんやクンダンさん。彼らの思い。
ネパールというワードとコーヒーの輸入というワードは、面白いと思っていただけるのか、人と人が繋がっていきます。関わっている全員を知っているという事が、このネパールのプロジェクトをフェアトレードだと言える大きな自負になっています。
そして2年後、3年後にはネパール・クンダンさんの農園と、岡山産のコーヒー豆が加わるはずです。
少し早く目が覚めた日、出社までの時間ってギフトですよね。でもまだ起きあがりたくないなあって気持ち、あります。そんなとき背中を押してくれるコーヒーになりうるのかもしれません。「家族みんなが一緒に暮らしたい。」皆さんの日常使いの豆になれると最高です。
元気がでました。
2022年、クンダンさんの農園で作った豆は1.5kgでした。去年収穫できた全ての豆をパルピングして生豆にすると1.5kgになります。その1.5kgのうち、1kgを小林さんを通じて平林金属へ託されました。
3年間の全収入に値するこの1.5kgの価値は大きいに決まっています。それを焼いてほしい、試してほしいと言われて、200gだけ使って焙煎の度合いを決めました。500gはその焼き色で粉にして、ネパールに持って帰ってもらいました。農園の人たちに飲んでもらうためのコーヒーです。農園の人たちの大部分は、自分が栽培して収穫したコーヒーを飲んだことがないんです。コーヒー自体飲んだことがない人たちもたくさんいる。だから彼らに飲んでほしくて送りました。のちに送られてきた、クンダンさんの従弟が神妙な顔つきでそのコーヒーを飲む写真を見て、なんでそんな神妙な顔つきをしているんだろう。美味しくなかったのかなと思っていました。こわいけど本人に直接聞いてみたんです。「仕事して、疲れた体がなんか癒されて溶けていくような気がしました」と話してくれました。「元気がでました」と。心配してたのでホッとしました。
美しいクンダンさんの農園。こういう景色の中でコーヒーが生まれています。
登っていく道だとか、すごい斜面を上がる写真や動画もあります。でも今はまだこの立ち上げのストーリーは出せないんです。豆がないから。これからです。
ビルドスさん、クンダンさん、小林さんと一緒に、このクンダンさんの農園に続く山道を登りました。
このブレンドネパールは、一緒に登ったビルドスさんの農園の夕暮れ時、陽が暮れていく時のイメージを表現しています。
平林金属株式会社は、特定非営利活動法人 AMDA社会開発機構(認定NPO AMDA-MINDS)と業務提携し、同機構が進めてきたネパールでのコーヒー豆栽培事業を支援しています。ネパール国内でお金を稼ぐ手段、働き口があれば、家族がバラバラにならず一緒に暮らせる。今年1月に空輸した500Kgのコーヒー豆で、約30人の収入機会を創出することができました。次の3トンでは、180人(世帯)以上の収入機会につながるでしょう。本事業を軌道に乗せ、SDGs目標1(貧困をなくそう)の達成に貢献していきます。
平林金属は今後、ネパールでの雇用機会創出で出来たコーヒー豆を、グループ会社のたからさがし株式会社が行う就労継続支援A型でその加工を受けていきます。日本にも、働く能力があるにも関わらず、職に就ける機会に恵まれない人がたくさんいることを知りました。当たり前の世の中に近づくための一つとして。
重ねます。少し早く目が覚めた日、出社までの時間ってギフトですよね。でもまだ起きあがりたくないなあって気持ち、あります。そんなとき背中を押してくれるコーヒーになりうるのかもしれません。「家族みんなが一緒に暮らしたい。」皆さんの日常使いの豆になれると最高です。
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